2008/08/01
鼻づまりは一向に良くならず、中学2年の春休みに鼻の粘膜の下にある左右の鋤骨を取り除いた。局所麻酔で先生が話しかけながら、手術用のみで鼻の穴 からがんがん削りとった。痛みはまったくなかったが、鼻から頭の芯にずしりとひびいた不思議な衝撃は今でも忘れられない。手術は成功したが鼻づまりはさほ ど良くならなかった。
高校1年の春、次第に黒板の字がかすんで読めなくなったので近所の眼科に行った。原田氏病(ぶどう膜炎)という原因不明の病気だった。このときは ステロイ ドホルモンの内服を数か月と眼注を1日おきに1か月ほど受けた。細い注射針が見えるので毎回恐怖にかられた。副作用で顔は丸くなり、5キロほど太ったが幸 い秋には視力は1.2まで快復した。ところが、眼が疲れやすく、すぐに充血し視力が低下した。眼を休まさねば快復しなかったので活字を読む時間を制限さ れ、日光にも弱いため外出の際はサングラスをかけされた。さらに運動制限も加わっていた。一番好奇心が強く動き回りたい時期にすりガラスをごしに周りをみ ながら友人たちの話に聞き入っていた。風景の記憶はほとんどかすんでいて思い出せない。高校2年の夏ごろには制限を無視して充血した眼で仲間とクラブ活動 をしていた。勉強はあまりせず1年間できなかったスポーツと読書にふけった。
痩せた細いからだも大学に入りサッカーを始めると少しずつ丈夫になっていった。ただし怪我が多く、足関節・膝の捻挫、いたるところの打撲、大腿の 肉離れ、 などで怪我なく送れたのはシーズンの半分以下だったと思う。今のように人気スポーツではなく人数も足らず肋骨にひびの入ったまま試合に出場したこともあっ た。
卒業後大学病院ではハードスケジュールながら体調をそこそこ維持できた。しかし、33歳のとき左足の甲をバイクで痛めてしまい、およそ1か月後に 鎮痛剤の 副作用で喘息をぶりかえした。いわゆるアスピリン喘息である。駅の階段を登るにもぜーぜーと息苦しく、このまま良くならなければどうなるのかと嘆いたのを 覚えている。徐々に良くなったが3年は薬を何種類も飲まねばならなかった。その後も風邪を引くと喘息発作がおこるため、年に数回はステロイドの点滴治療を していた。ところが幸運なことに40歳からはジョッギングができるようになり、その後ミニサッカーをするまでに快復した。
話はそれるが、スピードスケート金メダリストの清水選手も喘息で吸入ステロイド使っている。ステロイドは魔法の薬か?
よぎクリニック 内科 泌尿器科
與儀實夫