2011/08/01
中学時代の友人Yから草津に別荘があるので遊びに来ないかと20年ほど前から言われていた。Yの父が所有しているもので群馬県の草津開善学校のそばにあるという。
草津と言われても私には温泉やスキー場のイメージしかなかった。平成21年の6月にYに会ったとき盆休みはどうかと誘われ、夏休み中でもあったので思い切って行くことにした。
8月12日
盆の帰省ラッシュが始まる直前、Yは車で実家(妙蓮寺)から発電機を積んで私を拾ってくれた。陽射しは刺すように強く、乗った瞬間にサング ラスを忘れたことを悔いた。もちろんバミューダ・ポロシャツ・スニーカーだが、1000mの高度と聞いており、年に一度しか泊まらない上、発電機を積んで 行くのだから一応山小屋に行くつもりで装備を整えていった。
環八から谷原を左折し目白通りに入り、昼過ぎには関越道に乗ることができた。ラジオからは帰省ラッシュのニュースが聞こえてくる。関越下り所沢渋滞10km。Yと危うく巻き込まれるところだったなと苦笑しながら胸をなでおろす。 バックミラーごしに車は次第に増えていた。
渋川伊香保インターで下り、国道17号から国道145号に入る。しばらくすると民家も減り次第に道が狭くなり走りにくい。榛名山と伊香保温泉の北側を大き く渓谷に沿って行くと中之条町に着いた。最後のホームセンターだとYが言うので晩飯のしたくのため買い物をする。焼き魚にする鯛、キムチなべ用の肉・野 菜、つまみ、ビール・ワイン、さらに軍手、おしぼりウェッテイーなど買い込んだところかなりの荷物になった。
吾妻線と長野原街道は吾妻川に沿って走っており、途中建設中止となっている八ッ場ダムの構造物の大きさに何度か度肝を抜かれる。
かなり揺られた後、3時前に長野原草津口駅にたどり着いた。ここは草津温泉へ行くバスの発着場となっているが人はほとんど見かけない。 ここから右折し、六合村への405号を走ることになった。道は細く曲がりくねり、アップダウンもきつく40km制限だが、遅い車の後ろでもあり40kmで 走るのがやっとだ。対向車と離合できない箇所も多く何度か対向車を優先させた。Yの運転が次第に疲れてきたのか右側を走ったり、左のガードレールにぶつか りそうになり、私は両足を何度かつっぱった。
集落もほとんどなくなったころ花敷温泉・尻焼温泉に到着。さらにここから最後の細い舗装の悪い急な坂を上ること20分、ようやく道は広くなり、エンジ色の 養鶏場らしい建物にたどり着いた。その奥に校庭と開善学校が見えた。この手前を左折し、両側に木がうっそうと茂った道なき道のような草むらを50mほど走 ると、古びてはいるが頑丈そうなクリーム色の二階家がひっそりと建っていた。
やっとたどり着いた、4時を回っている。そこは山の頂上付近で標高はおよそ1000mである。白樺をまじえた樹林帯の中で、日光はさえぎられ薄暗いほどであった。
よくみると何のことはない玄関がないだけで普通の二階家だった。下をコンクリートで固め土台にしてあり、建物は簡素なプレハブに近いものだった。
内部は一年間誰も入っておらずややじめじめしていたが整っていた。石油ストーブと煙突が中央にあり、台所にはプロパンガスと水道が引かれていた。
電子オルガンがあるが、電気が引かれていないので音は出ない。観音開きの小さい扉があり開けると石油ランプが見つかった。
さあ、暗くなる前にとYとライフラインの確認作業が始まった。
まずは水である。水道は引かれているが元栓を開けても出てこない。外にも元栓があった?というのでYは元栓を開ける鉄パイプのようなものを出してきた。先 にコの字型の鍵のついたような長さ80cmほどのものである。プラスチックの直径10cmほどの円筒が土の中奥深くにある元栓を凍結しないようにガードし ている。元栓は直径6cmで穴が4箇所ついており、その穴にコの字型がはまり、反時計回りにひねると元栓があく仕組みだという。
右腕で鉄パイプの元栓回しをつかみ、地面にはいつくばってそれらしい位置に鍵を突っ込んでまわしてみる。何回やっても手ごたえはあるのだが回らない。そのうちポキっと音がしてパイプの先が1本折れてしまった。
片つめとなった栓回しはまったく役に立たなくなった。Yとどうしようかと相談するが妙案は浮かばず、結局外側のプラスチックの筒を取り除いて穴を掘り、直 接手で開けることになった。スコップはなく、さきほどの鉄パイプで土を砕き手で土を掘り出すという原始的な作業にとりかかった。栓までは深さ1mほどあ り、ほぼ円錐形に土をどかさねばならない。水がなければ晩飯なしだと思うと二人とも必死になった。
5時半ごろであろうか、Yが「俺ちょっと水もらってくるよ」と言って開善学校に20Lのポリタンクをもって出かけていった。結局2時間掘っても栓に届かな いでいるとYが戻ってきて私と交代した。しばらくすると届いたよ、エイと強く栓をまわしたが、ぴくりともしなかった。
とはいえ6時、そろそろ晩飯のしたくをしなくてはならない。外も暗くなるだろうから発電機も回さなくてはならない。Yはポータブル発電機の エンジンをかけようとスターターを引くが何度やってもプルルというだけでかからない。よく見るとバイクの2サイクエンジンと同じつくりのようで、チョーク レバーを引いてやってみたところブルルルーンと山で聞こえるチェーンソーのような音を出して回りだした。
早速室内の照明の点検をする。暗いが何とか使えそうだ。しかし、エンジンの調子が不安定で時々回転数が落ち暗くなる。電力不測は否めずとにかく省エネで行 くことにした。台所をつけるときは居間を消す、と言う具合に1室のみにしたところ何とか晩飯のしたくができた。
私は中高山岳部で、料理は下手だが今晩の食事当番をかってでた。もっとも、何を食わされるかわかったものではないので、Yに任すわけにもいかなかった。幸 いプロパンガスは順調そのもの、しかもオーブンまでついており、鯛は順調に焼けた。キムチ鍋もぐつぐつと音を立ててきた。
8時すぎようやくできあがった。ビールを飲みながら作っていたのでほろ酔いだが、初めての乾杯をし晩飯にありついた。うまい!ここは山小屋か?そのとう り、標高1000mの山小屋であった。とりとめのない学生時代の話は尽きることなく続いた。ラジオと居間の電気だけでやっていたが薄暗くなるので石油ラン プを追加した。
次第に発電機の音が弱くなってきたので明かりを消してエンジンを切り、ラジオだけにした。ラジオも消してみると全くの静寂の世界であり、ランプがなければ 漆黒の闇である。100mほど離れたところに開善学校があるものの、山頂に近い森の真っ只中の山小屋であった。二人がだまってしまうと沈黙なのか静寂なの か分からない。限りなく澄んだ空間が広がっていた。こんな空間は何年ぶりだろうか?時計を見ると11時を過ぎていた。穴掘りの疲れが出てきて心地よい。酒 はもうすすまなかったが無性に眠くなり寝袋にくるまった。
8月13日
気づくと朝になっていた。明るいうちに行動しないと夜は動けない。Yが昨日買っておいたミルクコーヒーとヤマザキのツナサンドを開ける。私はこういう朝食はしたことがなかったが、これが結構うまかった。
一息ついたところでYが「おい、どうする?どこか行きたいところある?」と地図を出してきた。予備知識なしに来てしまった自分を悔いるが、開き直って「ど こがいい?」と聞き返した。Yはさも草津のベテランらしく野反湖・白根山・尻焼温泉、とすらすらと名前を挙げた。地図を見ても全く初めてなので何のことや らさっぱり分からない。
山好きの私は「じゃ白根山方面にドライブするか」と提案してみた。Yはニヤニヤして何も言わなかったが、この草津自体が非常に広く、私の提案は横浜から箱 根に行こうぐらいに大雑把なものだったのだ。結局行き当たりばったりの白根山方面ドライブということで9時出発になった。
うまい朝食・快晴で気分良くYの運転でスタートした。Yは実は40歳で運転免許を取ったサンデードライバーで、昨日山道で怖い思いをさせら れた事をすっかり忘れていた。もちろんお世辞にも運転がうまいとはいえない。しかし、Yの車であり、私が運転したほうが安全だとも言えず、Yに任せざるを 得なかった。
急カーブが多くアップダウンの激しいのが草津の特徴だ。対向車を予想せずに右側を走る、左の谷にタイヤが脱輪しそうになる。私ははじめ両足を突っ張り左手 で頭上のアームレストにしがみついていた。しかし、そのうち「危ない、危ない」を連発。生きた心地がしない。それでもYは平然と運転している。次第に自分 の子供たちに言うように「左に寄って」、だとか「前見て運転しろよ」などとずけずけと言いたい放題に言いまくった。しかし、50過ぎのオヤジが言われてす ぐにできるわけがない。Yは全く動じる気配は無く、私は緊張で冷や汗をかきながら、それでも少しずつ高度を稼いでいった。
ルートの話に戻る。白根山を見に行こうという話だったが、走っているうちに何と白根山登山ロープウエーと書いてあるところにたどり着いた。 その先に道路は続いていたが、Yと顔を見合わせ「ロープウエー乗ってみるか、とりあえず白根山だよな?」なんて話しながら。やれやれ、これでYのコワイ運 転からのがれられる。
ロープウエーはスキー場の斜面に沿って約500mほど登り、頂上につくとある。人は少なく?待たずにすぐに乗れた。両側にリフトが見え草津スキー場だ。上 るにつれ下の東斜面は見晴らしがよく、草津の町がおもちゃのように見える。わずか10分足らずだがうつらうつらしたころ終点についた。下りると何と車が 走っていて、駐車場があるじゃないか?そうかロープウエイ乗り場横の道路はここまでつながっていたんだ。(志賀草津道路)
往復1500円は少しもったいない気もしたが、恐怖のドライブから開放されたうえ、見晴らしも良かったからまあいいかとひとり納得した。一方Yは表情を変えずに観光案内板へと向かっていく。大きな峰が2つあり、湯釜といわれる火口湖を見る峰に登りはじめた。
Yは一時太っていたがいつの間にやらスリムになり、もともと健脚で登るのが早い。やっとの思いでYについていった。約20分ほどで湯釜の見える頂上に到 着。標高2068mとある。まさか草津白根山のひとつに登れるとは思ってもみなかった。湯釜は直径200mほどの火口にエメラルドグリーンの水をたたえて いた。火口は灰色から薄茶なのでコントラストはあまりにくっきりし、この世のものとは思えず幻想的だった。
しばし時の経つのを忘れた。東からの風は冷たいが、ほとんど360度のパノラマで久々に高山の雰囲気を味わった。ロープウエー終点ということもあってサン ダル履きの女性や、子供もたくさん登っていた。駅に戻ると山小屋風の小さな売店があり、ストーブがたかれ温度計は6度をさしていた。
ロープウエーからの景色と湯釜の美しさでYの運転を忘れていたが、下りのロープウエーで思い出し、「今度は俺に運転させてくれ」と半ば強引 に言ったところ、Yはあっさり承諾した。しばらくするとカーブ、アップダウンの激しい中居眠りをし始めた。何とふてぶてしいやつだと思ったがYも運転に疲 れていたのだった。
草津温泉で弁当を買い、尻焼温泉で露天風呂につかりながら清流の音を聞き、ようやく一日が無事に終わろうとしていた。山小屋に帰り一杯やり ながら弁当を食べ、今晩は早々に休もうと思っていたところ、8時過ぎふいにYが「おい、いいもの見せてやるから外に出よう」と言うので、しぶしぶ懐中電灯 をつけて暗がりの中を歩いた。
次第に眼が慣れてきて森の輪郭が見えてきた。50mほども歩いたであろうか、うっすらと森の上空が明るいのに気がついた。懐中電灯を消すと空一面にこれで もかと言うほどに星が瞬いていた。白・黄・赤・青の光を放っており、弱いものから強いものまで生きている様だった。星と星を結ぶ線が勝手にイメージされ、 何かの形が出来上がるが組み合わせは無限だった。星座を知っていればもっともっと打たれるんだろうとしばらく見上げていた。
よぎクリニック 内科 泌尿器科
與儀實夫